石垣島は、沖縄県の離島の一つで、温暖な気候と美しい海が魅力の観光地です。
そんな石垣島はパインの産地として親しまれています。
特に石垣島のパインは甘くてジューシー!
なぜ石垣島でパインが作られるのか?どうして甘くなるのか?
みなさんはご存知でしょうか?
この記事ではパインの歴史に着目して石垣島のパインが美味しい秘密を紐どいていきます。
名前の由来は松ぼっくり??
パイナップルの名前の由来は、松ぼっくりを指す「pine-corn」と、木の実を意味する「apple」が組み合わさって「pineapple」と呼ばれるようになりました。
「apple」の部分は単にりんごに味が似ているからと言う説もあるようです。
日本では、明治・大正時代には「paineapple」を直訳して「松りんご」と呼ばれることもあったようです...
パインは日本原産の果物ではない!?
実は日本で食べられるパインは9割以上が外国産のパインって知っていましたか?
財務省によると、日本国内においても日本産のパインはわずか5%しか流通していないようです・・・
特に、フィリピンのパイナップルが日本国内のシェアの約90%を占めているようです!
では、パインの原産はフィリピンなのか?
・・・というと、実はそうではないんです。
パインの歴史とともに、詳しく学んでいきましょう!
パインの発祥地はブラジル
パインは元々はブラジル発祥の果物と言われています。
ブラジルにパインのイメージはありましたか?
実は、今でもブラジルではパインの生産量世界シェア第3位と盛んに生産されていることがわかります。
実は世界シェアを見ると、コスタリカ、メキシコ、コロンビアとブラジル以外の中南アメリカ大陸の国が高い順位にランクインしているんです。
アメリカから全世界に広がる
パインは、17世紀にはヨーロッパにて一般的に食べられるようになりましたが、世界的にはさほど主流な果物ではありませんでした。
ところが、19世紀中頃にアメリカのハワイ諸島でパインの栽培が始まり、20世紀初頭には世界一の生産量を誇るようになりました。
この頃には急激に工業化が進み、アメリカ本土をはじめ、多くの地域への輸出が可能となり、パインは世界中へ広がることとなります。
現在、パインが世界中で食べられている背景には、アメリカの優れた技術力が存在したんですね!
現在、ハワイ諸島を含むアメリカではパインの栽培量はさほど多くありません。
しかし、最も有名なパイナップルブランドの一つ「ドールパイナップル」はアメリカが生産地なんです!
パインは江戸時代に日本に入ってきた
パインが日本に入ってきたのは江戸時代末期と言われています。
諸説あるようですが、1830年に東京の小笠原諸島、父島に植えられたのが最初と言われています。
その他にも1845年にオランダから伝えられた説、
1866年に石垣島沖に座礁したオランダ船から伝わった説などがあるようです。
いずれにしても200年近く愛され、食べられているんですね。
入ってきた当初は高級品で、一部の裕福な家庭でしか食べられなかったようです。
次第に広く栽培されるようになって、今では一般家庭でも食べられるようになりました。
パイン栽培の歴史はとっても古い
パインは、長い歴史の上で世界中から愛されるようになりました。
古くは1000年以上も前より南アメリカ大陸で栽培されていたとされています。
記録に残っている中では、コロンブスが2回目の航海を行った1493年に西インド諸島の発見と同時にパインも発見されたとされています。
その時に発見された金塊や動物、その他植物とともにカトリック両王(フェルディナント王、イザベラ女王)に献上されたそうです。
両王はパインを大層気に入り、「王の果実」として知れ渡ることになります。
では、「王の果実」がどのように世界中に広まっていったのか、見ていきましょう。
世界各国に広がるまで
コロンブスが持ち帰ったパインは、しばらくのあいだは貴族の果物として食べられていました。
しかし、温室栽培により安定して生産することができるようになり、次第に庶民にも食べられるようになったそうです。
1513年頃には、スペインへと持ち出され、その後はアフリカ大陸、アジア大陸の熱帯地方へと広まっていきました。
石垣島には台湾から持ち込まれる
では石垣島にはいつ伝わってきたのでしょうか?
一般には、1930年に台湾よりパインの苗が運び込まれ、栽培が始まったと言われています。
その5年後には、台湾のパイン農家およそ50農家(およそ300人)が石垣島に移住し、本格的に栽培が始まったそうです。
台湾は石垣島とほぼ同緯度にあります。
そのため気温や湿度などの気象条件が近く、栽培のノウハウもそのまま流用できたんですね。
皆が甘い石垣島のパインを食べれるようになるまで
当時は高価な輸入品だった
石垣島でパインの生産が始まった頃、まだ数が少なく高級品でした。
また、パインは早期に収穫しても追熟できない果物なので、当時の運送技術では生のまま島外に出すことができず、ほとんどが缶詰に加工していました。
そのため、ほぼ贈答品用だったそうです。
しかし、昭和40年頃には次第に一般家庭へと出回るようになったそうです。
航空技術の発展した今現在では、生のパインも出回るようになり、一般に親しまれる果物の一つとなりました。
まとめ
昔は高級品だったパインも、今では安価で当たり前のように食べられています。
それは、長い歴史と多分野の技術の発展、農家の皆様の努力によるものです。
特に、石垣島の気象がパインに最適だったこともあり多く作られているのは幸運ですね!
今でも石垣島ではたくさんの美味しいパインがお手軽に食べられます。
アイスやスムージーなど、加工したものもたくさんあり、石垣島の産業を支える一つの柱にもなっています。
石垣島を訪れた際にはぜひ召し上がってみてはいかがでしょうか?
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